今日は祖母の1周忌。
1年前の今日、年度末で忙しい中、やっとの連休作れてスーパーで食料買っている中突然の電話。
上司に連絡、忌引き休暇を取り、実家に帰らないと、ということは連休明けする予定のサマリー業務を休日出勤してやらないといけない。休日に3時間も業務。
実家に帰り最期会えたが、コロナ真っ只中で県外の人間であり、参加者は高齢者が多く、式に参加は出来ず。ショックだったね。
でも、久しぶりの実家でほぼ一人で過ごし、楽しみたいという思いで結局出掛けたね。
今思うと休もうよという感じだし。
名目上5連休だったが休んだ感じないし、
その後年度末の3/31-4/3の4連勤
4月からは忙しい部署、仕事面では心も体もバタバタ。
「4月から3年目でちゃんとしないと」という意識の強さ
「The急性期脳外科・呼吸器」忙しいけど挑戦したい向上心の強さ
リハビリの重要性と同時に責任をより強く感じていた
「ベテランの先輩から多くの事を吸収したい」という理想の高さ
自信が無くて必死にくらいつこうとしていた
生理の予定日だったのに、それ以来まともに来ていない。
潜在意識とか診ていただいた先輩には「おばあちゃん」の事が出てきて、気にしていたけど、色々なことも含めて疲労がすごかったんだろうな。
1年前の日誌を振り返ると、本当色々な事をした。
・朝5時半起床、英語のオンラインレッスン 3か月継続
・朝食+弁当+をシリコンスチーマーでいっぺんに作り残りを夕食へ 半年継続
・仕事はちゃんとしたりしなかったり、
入れ替わりが多くて残業ばっかりしていた
・係業務のリーダーになり(ならされ?)準備したり
・家ではYouTubeの読書紹介動画で栄養関係・お金関係の勉強やら
・休日は医療英語したり、スーパーへ買い物
リフレッシュではショッピングモールへ
『のんびり』って何?って感じの日々だった。
色々な興味あることに取り組んで「自分凄い!生きている!」感じがあった。
疲労とか無視していたよな。
心・身体の様子に耳を傾けることの難しさを今でも感じている。
おばあちゃんも病気になる前はいつも動いていた感じしたな。
朝から1万歩歩いていたおばあちゃん尊敬していたな。
一人孫だから可愛がられたな笑
最後となってしまった母とお見舞いで私に対して「お友達かい?」って
患者様でそのような症状よく見ているのに、ショックだったな。
また、まとまりのない文章でしたが、色々思い出したので書きました。
ありがとうございました。