11月はとにかく一人で家にいる事が嫌、でも実家だと色々言われるし、楽しいことを求めたい。
この日も一人で考え込んで不安になるより無我夢中で自転車を漕いだ。
Google Mapを見ながら周辺を見たとき『集会所』の文字
誰かと交流できるのかなと訪れてみたが、誰もいない。
その時ある男性が来て古民家にあがらせてもらった。
急に一人で謎な場所にあがりこんで、
初対面の人と話す→話さなくても良いのに自分を打ち明けたり、
全力で悩みとか病みを話す
って冷静に考えると怪しい行為かとかとか思ったりもする。
(親に「そのうち騙されるよ」とか何度も言われるけど。)
人のネガティブな部分を聞くって嫌なんじゃないかな・ネガティブとか悪い感情を初めて会った人に移してしまって申し訳ないとか思っていた。
でもその男性は「悩みがある人と会えて話を聞けて嬉しい」とおっしゃった。
そういえば、昔友達の行動力に圧倒されて、自分の悩みとか打ち明けた時、
人に相談できてるのいいなって思う!強み!相談された方も嬉しい!
なんでそう思えるんだろう、心が広いなぁって思っていたりした。
みんな多少の事悩んでいても、人前で見せず振舞ったりするし、そんな気にせず過ごせているんだろうなぁって思った。
「みんな悩むこともあるけど、働いていて、休んじゃうくらい考えて悩むってすごいことだよ」って言われ、
当時はもう限界過ぎて全然響かなかったけど、とことん考えてしまうこともある意味才能って思おうか。それが人間らしさなのか、どうなのか。
また、自分は理学療法士として、リハビリテーションを提供していが、
「リハビリをする?」ってどういうことと聞かれ
「症状や悩み、発言による主観的評価との測定等での客観的評価を合わせて、何が必要かを考えて、治療をしたりする」的な事を話し
「僕のリハビリをするとしたらどうする?」って話で傾聴して会話をすることしか出来なかったが、「これも僕にとって心のリハビリと感じることもあるよ」と
「初対面だけど、安心感があるから」と言ってもらえて失っていた自信に少し光が差したような喜びを感じた。
この方はサラリーマン生活をやめてご実家をリノベーションさせて古民家のような集会所を作り、活動されているそう。人の生き方・仕事の仕方の多様さも実感。
暖炉をぼーっと眺めている瞬間、少し無心になれてぼーっと出来てよかったです。
「疲れちゃったら休むのいいねとは言っても、こうやって来てくれて、きちんと行動してすごいと思う。」
後から下さったメッセージも印象的でした。ありがとうございます。
何が言いたいかはわからなくなったが、
悩みも素晴らしいという事、誰かに打ち明ける事も良いことと
忘れないためあの時のことを記させていただきました。
読んでいただき、ありがとうございます。